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1. 誕生



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たっくんは現在23歳。自宅から車で2時間ほど離れた
ところにある知的障害者更生施設に入所しています。
月に一度母が車で送迎して、4~5日程度の帰省をして
います。

地元の養護学校を卒業して、現在の施設にショート
ステイを使って一年間毎週通い、20歳になったのを
機に入所しました。

15歳の時に、「1p36欠失症候群」と診断されました。
重度の知的障害があり、四肢にも少し障害があります。
声は出しますが、言葉はありません。走る事はできま
せんが、歩行はできるので普段は車椅子などは使用
していません。

排尿の間隔が短いので、定時排せつはしていますが
今でもオムツを使用しています。音楽や歌、ドライブが
大好きで、勉強や運動は嫌いです(笑) 食べ物の好き
嫌いはほとんどなく、とても食いしん坊です。

・:*:・'★.。・:*:・'☆*・:*:・'★.。・:*:・'☆・:*:・'★.。


平成3年4月26日午前8時8分に、たっくんは生まれ
ました。身長45㎝、体重2270gと少し小さめでしたが、
分娩そのものには異常はありませんでした。
2500g以下であった事と、少し心雑音があった事、
黄疸が強かった事が理由ですぐに保育器に入りました。

体重が2500g以上になって、黄疸が落ち着くまでは
退院できませんと言われ、母だけ先に退院して毎日
母乳を絞って病院へ運びました。たっくんが退院した
のは生後20日の5月16日でした。


その時の体重は2570g。とても食欲旺盛な子でしたが、
なぜか直接母乳を吸えない子でした。この時はまだ
小さく生まれたせいだと思っていました。
直接吸わせると額にいっぱい汗をかいて、眠ってしまい
ます。でも母乳を絞って哺乳瓶で与えると、ゴクゴクと
たくさん飲んでくれました。生後1か月で120cc飲んでも
まだくれって、ほにゃほにゃと泣いてました。泣く力はとて
も弱かったです。

お産の日が明けるまで私の実家にいましたが、たっくん
が退院して1週間ほど過ぎた頃、突然けいれん発作を
起こしました。この時、とてもイヤな予感がして怖かった
のを覚えています。すぐに病院に電話をしました。入院の
準備をしてすぐに来るようにと指示があり、私の母と一緒
に病院へ行きました。

検査の結果、血中のカルシウムが不足しているのでその
せいでけいれんが起こったのかもしれないと言われ、カル
シウムのお薬を処方されました。でも、一週間経っても
発作はおさまりませんでした。その間、なんとか直接母乳
を吸ってほしくてトライし続けていました。でもやっぱり直母
だと、吸わずに汗をかいて眠ってしまいます。

その時同室だった男の子のお母さんが、「もしかしたら」
と心臓の話をしてくれました。その子も心臓の病気があって、
赤ちゃんの頃はたっくんと同じ様子だったと言うのです。
そこで私は先生に言ってみました。すると先生は「もう心雑音
は聞こえなくなったので、心臓は心配ありません。それよりも
脳神経の方が心配なので、旭川医大へ行って詳しく診てもらっ
て下さい。」と言われました。

そして6月5日、旭川医大の小児科に入院となりました。


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生後二日目のたっくんです。


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病院でタライのお風呂に入ってます。
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2. たっくんの病気

医大では入院するとすぐに色々な検査がありました。脳神経
の主治医はM先生という女の先生で、心臓の主治医はO先生
という男の先生でした。

この日の検査でわかった事は心臓に穴が開いているという事、
けいれん発作はてんかんであるという事でした。染色体の
検査もしましたが、この時は異常なしだったんです。てんかん
も何が原因なのかは、はっきりわかりませんでした。

ただ、脳の中に小さな異常がいくつもあるという事でした。
心臓は「心室中隔欠損症」というもので、手術をすれば治ると
聞かされました。ただ、エコーや心電図などの検査だけでは
詳細までわからないので、いずれ早い時期にカテーテル検査
が必要だという事でした。エコーで見る限りの穴の大きさにし
ては漏れている血液量が多いので、早めの処置が必要にな
るだろうとも言われました。

心臓に負担がかかるので直母は禁止、水分も制限しなくては
ならないので1回の授乳量は30ccで、一日8回まで。知らず
に直母の練習をしたり飲みたいだけ飲ませたりして、どれだけ
たっくんが苦しい思いをしていただろうかと胸が痛みました。

何といってもまずは発作を抑えなくてはなりませんでした
から、強心剤を飲みながら抗けいれん剤の調整から始まり
ました。発作の回数が一日7回くらいになれば退院して様子
をみながら生活できると言われました。水分制限でお腹が空
くので弱々しい声で泣く事が多く、体力を消耗するのでおしゃ
ぶりを用意するように指示されました。このおしゃぶりが現在
もたっくんには必要不可欠のものとなっています。(寝る時だけ)

この時に処方された抗けいれん剤は、フェノバールとビタミン
B6という薬。食いしん坊のたっくんは、薬もおいしそうに飲
んでました。

余談ではありますが、入院して四日後に私が高熱を出した
ために、実家の母が12日から16日まで日中の付き添いを
交代してくれました。私は旭川に住んでいる母の友人宅で
昼間だけ休ませてもらっていました。私にとって初めての
子供で両親にとっては初めての孫でしたから、ずい分心配
してくれましたしお世話にもなりました。

強心剤と水分制限によって心臓は落ち着き、抗けいれん剤
によって発作の回数もグンと減ったので6月29日に退院
できました。カテーテル検査は7月の中頃に受ける予定でし
た。この頃の体重は3700gくらいでした。日記によると
6月20日頃から声を出すようになり、あやすとちょっと
笑うようになったとあります。

退院後も毎月の通院は必須でした。旭川までは車で2時間半
かかりましたが、通院しているうちにその距離はそれほど
感じなくなりました。医大を退院した後は、自宅へは戻らず
父ちゃんの実家で二週間ほどお世話になりました。父ちゃんの
両親にとっては初めての男の孫だったので、やはり心配だっ
たのでしょうね。自宅へは7月14日に戻りました。

入院中に少しずつ授乳量は増えてましたが、7月24日の通院
で1回の量が90ccに増えました。この頃には朝4時の授乳を
なくし、3時間おきの7回にしていました。

一日数回の発作を起こしながらも割と順調な毎日を過ごして
いましたが、8月1日に体調を崩して入院してしまいました。
前日に7回も下痢をして、脱水を起こしてしまったんです。
水分制限がキツイので、脱水を起こすと命にかかわります。

この日、丁度隣町に心臓の主治医であるO先生が医大から
来ていたので、父ちゃんを会社から呼び戻して車で1時間
離れた町の病院に行きました。入院中に百日を迎えましたが、
退院してからゆっくりお祝いしようと思ってました。ところが
私の両親が、お食い初めのセットとお料理を持ってわざわざ
病院まで来てくれたんです。母がどうしても気になってと
言って、急いで準備して来たと。親って有難いものですね。

そして8月6日、順調に回復して退院しました。その後、
けいれんの回数が増えたりしながらもなんとか自宅で過ごし、
8月29日に心臓カテーテル検査のため旭川医大に入院します。


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医大入院時。水分制限前なので、ぷくぷくしてます。


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退院後、父ちゃんの実家で。少し痩せました。


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自宅にて、お風呂上がりです。


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8月に入院した時。この写真の時は元気になってました。
入院中にこうやって手をジっと見つめるようになりました。


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退院後、自宅で百日の記念写真。
ベビードレスは私の母の手作りです。

3. 初めての心カテ

8月29日に心臓カテーテル検査のために旭川医大に入院しました。体重は検査前日で4345gになっています。検査は9月4日の午前9時から2時間半くらいで終わり、検査後の経過は順調でした。しかし結果は思いもよらないもので、一つだと思っていた心臓の穴が4つあったというのです。ただ、そのうちの2つは小さいので自然にふさがる可能性が高いけど、一番大きい穴は5.5㎜ほどあって体重が10kgくらいないと、穴をふさぐ手術はできないと言われました。残りの一つは様子見だという事でした。穴が開いているせいで心臓も肥大しているし、僧帽弁の逆流も見られたそうです。それらは一番大きな穴をふさぐ事で、良くなるだろうと言われました。

でもすでに肺にかなりの負担がかかっていて、肺高血圧症を引き起こしているので応急処置をしなければならないという事でした。確かにそれまでは哺乳瓶で母乳を飲むと汗もかかずにゴクゴク飲んでくれていたのに、一日に何回かは飲みも悪く額にたくさん汗をかくようになっていました。けいれんの回数も増えてしまい、ぐずる事が多くありました。相当辛かったのだろうと思います。当初は検査が終わったら一旦帰宅する予定でしたが、そのまま応急処置の手術をする事になりました。

その頃医大には乳幼児の心臓外科医がいなかったので、旭川市立病院へ転院して手術を受けました。手術の内容は肺動脈狭窄術(バンディング)です。たっくんの場合、心室に開いている穴から漏れた血液が肺動脈を通って大量に肺へ流れていたので肺動脈を縛って細くし、肺に流れる血液量を調節しなければならなかったのです。この処置はだいたい1年半しかもたせられないので、それまでに体重が10kgになっているのが理想だと言われました。

9月18日に私立病院に移り、手術は翌日19日に行われました。体重は4645gになっていました。開胸したわけではないので、3時間半ほどで手術室から出て来ました。4㎝の太さの血管を2.8㎝まで絞ったそうです。術後は、人工呼吸器が抜けて状態が安定するまでICUに入りました。その間は決まった面会時間に面会に行くだけで、何もする事がなくちょっと退屈だった記憶があります。

術後は順調に回復し、手術から6日目にICUから病室に戻って来ました。体重は4030gまで減っていました。一回90ccまで増えていたミルクでしたが、術後なので一回30ccからになりました。食いしん坊のたっくんは、当然「足りない」と泣いて
ばかりいました。バンディングで楽になった分、食欲も旺盛になったようです。10月1日、体重は4550gまで戻り、ミルクも一回70ccまで増えました。この手術前に、私は強制的に母乳を止めていました。ずっと絞っていたせいで張り返しが強く乳腺がしょっちゅう詰まって辛かったので、産科の婦長さんに指導してもらって母乳を止め、ミルクに切り替えていたのです。

心臓は落ち着きましたがけいれんの方は依然としておさまらず、10月4日に医大へ戻って薬の調整をしました。抗けいれん剤は手術前にフェノバールからデパケンに変わっていました。飲み薬に加えてフェノバールの座薬を一日一回使う事で、けいれんの回数が激減しました。

この頃のたっくんは少し成長を見せていました。手術前に寝返りをしていたんです。仰向けの状態から自発的にうつ伏せになっていました。が、仰向けに戻る事はできず、気付くとふがふが言ってました(笑) 背筋が弱いので、うつ伏せの状態で頭を上げる事はできなかったんですね。少し声を出して笑うようにもなっていました。機嫌がいいと、「あーあー」とたくさん声を出していました。そしてずっとかざして見ているだけだった手を、ついに口に入れたのが10月9日の事でした。最初は左手だけをかざして見つめていましたが、そのうち右手も同じようにかざして見るようになりました。最初に口に入れたのは右手でした。指しゃぶりまではいきませんでしたが、自分の指をなめて確認をしているようでした。

けいれんも落ち着いて来たので、10月12日に退院しました。退院の前日、私はまた高熱を出してしまいました。。。帰宅後もしばらくダウンしてました。

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検査直後のたっくん。


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母ちゃん暇で、たっくんで遊んでます。。。


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脳波検査中。


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術後6日目にICUから出て来たたっくん。


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初めて自分の手を口へ。左手をかざしながら。。。


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退院の二日前。おばあちゃんお手製の服を着て。


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たっくんの母ちゃん

Author:たっくんの母ちゃん
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